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ヒストリー

着実に、歩み続ける。

原田産業の創業は1923年。100周年まであと数年となりました。これまでの歴史を、節目となる出来事やトピックスとともに振り返ります。

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堅実経営の基礎固め。

1923年(大正12年)3月4日、創業者である原田亀太郎が、原田商事株式会社を設立し、輸入業を開始。亀太郎が前職で倒産整理を味わったこともあり、このときから「堅実経営」を営業方針としました。創業後すぐ、関東大震災があり被災もありましたが、復興のために必要とされた板ガラス等の輸入注文を多く受けるというビジネスチャンスを享受し、時代の波に乗ることができました。また、1927年の金融恐慌では、多くの銀行倒産を受けて、手形は全て自社で保有することをより固く決心し、大阪本社社屋の建設に至りました。

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  • 亀太郎の言葉に努力を見る

    「幸福と云ふものは、絶へず最善を尽して努力しておると思はぬ時に思はぬ所に到来するもの」幼い頃から丁稚奉公に出ており、苦労も多かった亀太郎。自身の努力と情熱で、両親に内緒で高校を受験したのち、両親を説得し、入学。在学中は寸暇を惜しんで勉学に励み、首席で卒業しました。

  • 原田を見守る仏様

    大阪本館社屋の2階には、1体の仏像が。本社完成を記念して置かれたこの仏様が、戦時中の空襲や様々な天災から、会社を守ってくれているようです。

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終戦後、
造船ビジネスの拡大へ

太平洋戦争の戦火が拡大していく中、ほとんどの社員が招集され、直輸入も不可能となりましたが、国内営業にシフトし、なんとか営業を続けました。戦後もしばらくは海外との貿易ができず、苦しい時代でしたが、板ガラス事業などを主力に耐え忍びます。数年後、工具から始まった造船のビジネスが、国策による復興のための計画造船建造の波に乗り、業績拡大。オスロ、ロンドン、ニューヨーク、と海外事務所も開設しました。

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  • 社屋に見る、戦争の爪痕

    大阪本館社屋リニューアルの際に見つかった、一部炭化した柱を展示しています。これは大阪大空襲の際に周辺の火災の熱が壁の中に入り込んだことで起きたものと思われます。社屋からも歴史を垣間見ることができます。

  • 造船ビジネスは勘違いから!?

    現在も続く、造船ビジネス。とある社員が営業に行ったところ、応対者が「原田商事」というよその会社と勘違いし、その場で造船用の工具の見積もり依頼を受けました。きっかけは勘違いというアクシデントでしたが、工具の取引を皮切りにその後も製品のラインナップを充実させ、ビジネスの拡大へと繋げました。

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不況を乗り越え、
新たな時代へ

宝石の輸入販売に挑んだり、家具・カーペットで海外への買い付けアテンドに多忙を極めることもありましたが、オイルショックもあり、造船不況が続き、原田のメイン事業となっていた造船ビジネスは業績の低迷が続きます。そのジリ貧状態から脱するためにも、新規ビジネスの開拓指令が出され、選出された開発プロジェクトチームを中心に、営業メンバーは新たなビジネスのしっぽを掴むために奔走します。

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  • 第1回輸入貢献企業表彰受賞

    創立60周年を迎えた1983年。貿易摩擦緩和のための製品輸入促進策の一環として創設された輸入貢献企業表彰制度。この初年度の該当企業に認定され、当時の通商産業(現在の経済産業)大臣から表彰を受けました。

  • 工作機械の大躍進

    日本の自動車産業が量産体制に入った1960年代。造船ビジネスですでに取り扱いのあったドリル研磨機という工作機械のニーズが、国内大手自動車メーカー・工具メーカーの間で爆発的に高まりました。原田産業は時代の波に乗ります。

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事業の多角化と体制を整える。

エレクトロニクス事業の確立を経て、その国内地盤を生かしつつ海外へも進出。シンガポールや台湾、韓国等に支店を開設し、上海やバンコクに現地法人を設立するなど、アジアでのビジネス拠点をしっかり固める時期になりました。加えて、新たに食品事業を立ち上げる為、オランダの食品機械メーカーであるモンドミックス・ハウデン社との合弁会社、モンドミックス・ジャパンを設立。ヘルスケア事業部を分社化し、ラックヘルスケアを設立するなど、多角化と各事業の体制を整えるための変化が多くありました。

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  • ラックヘルスケアの立ち上げ

    原田産業内の一部署であった介護福祉事業。時代の変化からその伸びを見込み、本体より分離独立させ、ラックヘルスケアとして立ち上げ。よりフレキシブルな組織にすることで、意思決定を素早く行い、スピード・効率を上げました。

  • 入社3年目で駐在事務所を開設!

    「海外とのビジネスがしたい。新しいビジネスを立ち上げたい」という思いで入社した社員S。入社して間もない頃から、海外研修で東南アジアの国々を巡り、そのときの経験を生かして、入社3年目には単身シンガポールへ渡って駐在事務所を開設、そこで商品の開発も一から手がけました。社員の夢の実現も、原田の歴史の1つです。

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さらなる挑戦へ、飛躍。

これまでの歴史の中で培ってきた国内外のネットワークを活用しながら、6つのビジネスの柱を育てています。小売業界への進出、ベトナム縫製工場の立ち上げ、ゼロからの医療機器開発。今後も世の中のニーズに応えつつ、型にはまらない新しいビジネスに挑戦。持続的な成長を続けていきます。

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  • 小売業界への挑戦

    情報収集を続ける中で、これまでにない新素材と出会い、当時日用品をOEM供給していたパートナー企業へ紹介しました。そこでは採用に至りませんでしたが、「なんとかして世の役に立ちたい!」という志から、原田産業独自で商品化と販路開拓する事を決意。これを機に小売進出と様々な商品の立ち上げに繋がり、現在は小売に止まらず外食産業などにも進出しています。

  • ベトナム縫製ビジネスの拡大

    それまではベトナムの現地企業との合弁会社であったベトナム製造拠点。2018年に完全子会社としてHarada Garment Vietnam CO.,LTDを設立しました。合弁事業から完全独資の事業へと転換し、ビジネスの拡大を図っている真っ最中です。

  • 新理念も「挑戦」をキーワードに

    2018年、原田産業の企業理念が一新されました。MISSIONは「自らが挑戦者として最高の一手を共創する変革のパートナーであり続ける。」挑戦しないことには、何も始まりません。まずは自分たちが積極的に挑戦をし、お客様の挑戦を牽引していけるよう、原田産業は邁進していきます。